21世紀の教育を考える会「教育21」のインタビュー
[平成19年1月10日]
 
  ※平成19年1月10日に21世紀の教育を考える会「教育21」の『身近な人に聞く』のインタビューを掲載しました。
※21世紀の教育を考える会「教育21」
未来の社会の担い手である子ども達にとって「教育とは何か」「学校とは何か」「生きる力とは何か」をみんな(大人も子どもも)で考えることを目的とする、講演会開催、情報発信等を行っています。今治市内の有志で組織している「教育」を真摯に考える会です。
 
 

 

サラリ-マン時代

 大学を卒業後、在阪のゼネコンである錢高組に就職しました。30歳までの8年間お世話になりましたが、建設業の基本である現場業務から建設コストを事前に算出する積算、当該作業所の利益を予算管理する工務、建設資材の買い付けを行う購買、建物全てを請け負う営業といった建設業に携わる全てのサイクルを経験させていただきました。やりがいもあり、やればやっただけ結果もあらわれ、人間関係にも仕事にも恵まれた素晴らしい時間を過ごさせていただいたと今振り返ってみても感謝しています。
 とりわけ、当時20代そこそこの僕にとっては、脂の乗り切った40代・50代の方々との話はとても新鮮で興味深く、ノミニケ-ションを含め、何でも吸収してやろうと貪欲に先輩方とのお付き合いをさせていただきましたし、8年間に大別すると6つの業務に携わったわけですから、仕事自体も変化に富み、やらされ感よりも「自分がやらなきゃ」、そんな思いで身を粉にして働いていたことを今はとても懐かしく思い出しています。
 中でも購買業務は、人とのお付き合いという意味では大変勉強になりました。購買部署とはある意味、会社の生きたお金を管理する金庫番であり、極めて重要で責任のある部署です。ものを買うという行為そのものにお金が絡んできますので、人の意見に流される方では務まりません。例えば、僕のような若者にも老獪な営業マンが、これを使って欲しい、これを買って欲しいとやって来ます。相手は商品を高く買って欲しいが、こちらは少しでも安く良いものを買いたいという相反する思いを互いが持ちながら、時にはとぼけたふりをしてみたり、時には騙されたりと常に人間同士の本気の勝負が行われる毎日でした。誰に対しても説明がつく購買をしなければなりませんので、ここでの数年間が現在の自分の基礎をつくってくれたのかなあとも思っています。
 順風満帆なサラリ-マン生活も「リストラ」という言葉を耳にし始めた頃から風向きが怪しくなりました。本来なら再構築という意味の「リストラ」ですが、その当時も今も「人を切る」という意味で使われていますよね。組織というものは率いるリ-ダ-の善し悪しで風通しが良くなったり悪くなったりするものですが、当時、社長の意に添わない有為な人材が次々と辞めさせられていくのを目の当たりにし、不信感を抱くようになりました。若かったんでしょうね。自分も実績を重ね、責任ある役職に着いた時、同じようなことになるのだったら、今辞めて、ふるさとの家業を継ごうと本気で考えるようになりました。僕の仕事に対する情熱は上司も同僚も認めてくれていましたので、最初は、冗談だろうと思っていたみたいですが、理由をお話しすると仕方ないなと思われたようでした。ちょうど子どもが産まれて間もない頃だったので妻には大反対されましたが、建設業のことは全て頭に入っているとそれなりの自負もありましたし、自分の力量を試してみたいとも思ってもいましたので地元へ帰り実家の会社(建設業)で働くことを決めました。


故郷で錦を飾るのではなく「故郷で錦を織る」

 今治へ帰ってきてからは、いろんな人たちと交流するという意味でJC(今治青年会議所)にも入会しました。会社では朝7時から夜は11時頃まで仕事をするのは当たり前でした。家業での仕事は自分がそれまでやってきた仕事のやり方とはまるで違っていて、例えば、会社の利益を追求するために、何が必要なのか、どうすればよいのかと考える社員も少なく、改革の必要性に迫られているのに、牽引する改革者がいないといった状況でした。僕には理想とする「社会から認められ、求められる」会社像があったので、なんとかこの状態を変えたい、持っている全てをこの会社に注ごうと懸命に働きました。もちろん、従来のやり方と大きく舵を切りましたので、取引先をはじめ社員からも反感を買いました。しかし、生きるためには、生き残るためには仕方がなかったと今でも思っています。今では、会社としての品質管理における責任と権限に対する評価(ISO9001)の認証を受け、社員一人ひとりも変わり、会社全体としても良かったのではないかと思っています。


政治の世界に

 市会議員をしていた父の周りにはいろんな人たちが集まってきていて、様々なお願いや話をしていましたが、帰省して3年経った頃「県議選に出てはどうか」と父の周辺の人たちからお話がありました。子どもの頃から父親の背中を見ていたので政治というものを身近に感じていましたし、そのことに加え、親元を12年離れていましたので余計に父の仕事、父の生き様がはっきりと見えたきたように感じていた頃でした。と同時に、市町村の議員は地域に密着しているのでわかりやすいのですが、県議という役割がいったいどういったものなのかということが当時の僕には見えてこなかったことに少々物足りなさも感じていたので、「僕がやってやろう、世の中の道具になろう」と、両親や妻の大反対に合いながらも立候補することを決め、若い仲間と共に無我夢中で過ぎた選挙期間でした。
 当選後の一年間は、対人恐怖症のような頃がありました。この人は僕のことをどう思っているんだろうか、僕はこの人の心をいただいているのだろうかと、とても不安な時期を過ごしていました。中身のない自分のことは自身が最もわかっていましたし、県議の重圧に負けそうになっていました。周囲の人たちにもそんな自分が伝わっていたらしく、「しんどいんじゃないか」とか「から回りしているのでは」というような言葉を耳にしたことも少なからずありました。
 現在4年目に入り、以前よりは少しは自信もついてきて、人前でも物怖じしなくなりました。これは、父が立候補した今治市長選が大きな転機になったと思います。負けても戦わなければならない戦があることやどう生きるのではなく、どう生きたかということも大切なんだということも学びました。余談ですが、僕自身、子どもの頃からいつもいい子でいないといけないという思いがあり、成人してからもいろんな意味で演じ続けてきた部分はあったのだろうと思います。とりわけ、政治家になってからは、父は市議、僕は県議という立場でありながら、ついつい父の存在や意向が気になったり、親子で異なる見解を出すことに対しての周囲の反応が気になったりしていました。しかし、言葉は適切ではないかもしれませんが、今では政治家徳永安清という大変大きな存在の呪縛から解き放たれたように感じています。自分は自分でいいのだと思えることができたことで、ずいぶんと気持ちが楽になりましたし、自分の発言も明確になってきたように思います。


人材育成こそ地域活性化の起爆剤

 県議の役目とは、愛媛県の東中南予の特性に合わせた活性化策を講じることはもちろんでありますが、平成の大合併を経て、それぞれの選出地域を発展させる役割も極めて重要なことだと感じています。今治であれば、越智市長と同じような目線が必要です。今治市全体を見渡しながら、隣接するまちの動向にも気を配り、地域間の競争に負けないようなアイデアを出していかなければなりませんし、10年後の今治、20年後の今治と言った将来ビジョンも持たなければなりません。今治の場合、全国でも屈指の合併をした地域ということもあり、元来持っていた12のまちにあるそれぞれの資源を徹底して見直し、どう連携させていくかということが重要であると考えています。
 また、地域の活性化に欠かせないのは人材の育成です。そして何より教育が大切です。安倍総理の掲げる公教育の再生はもちろんのことですが、家庭力、学校力、地域力の3つの力が相互補完的に連携できる素地をなんとか構築できないものかとも考えております。言わば、教育版「愛と心のネットワ-ク」とでも言いましょうか。昔、僕たちの時代にあった隣近所の関係、隣組の意識を何とかして復活させ、支えあい助け合いながら共に生きていく、そんなネットワ-クが教育の面でも今治全域に広がればと思っています。
 更に、地域に応じた人材の育成の一環として職業科の多様化も不可欠で、これからどのような人材が今治にとって必要なのかを考え、分析し、必要に応じた教育をしていかなければなりません。今治では、地場産業として造船やタオルなど技術の必要な職業がたくさんありますが、最近は外国人研修生や技能実習生の存在が目立ちます。日本の若者を育てても3K(きつい・きたない・きけん)と言われる職業に就かない現実があるからですが、きちんとしたキャリア教育をし、ものづくりの方々の地位を向上させるような意識改革も必要です。そのためにも小さい頃からの教育は大切で、ものづくりの工程などを見せたり、地元の職人技術を身近に感じてもらえるような交流体験なども今よりもっと進めていく必要もあるでしょう。そのことが、若者へ技術が伝承され、地域の活性化にも繋がるのです。団塊の世代である一流の職人さんたちの退職が目の前に迫ってきています。いろんな産業の分野で技術の伝承ができなければ、ものづくりのまちとしては生き残ることができません。


おやじの会今治

 この会は、昨年秋に立ち上がったばかりです。11月23日にやんちゃ和尚こと廣中さんを招いての講演会は手応えのあるものでした。第一弾はいじめや不登校についての講演や相談室の開催でしたが、できれば、継続してこのような事業を行っていけれるよう、僕なりに支援をしていきたいと考えています。自身、以前から教育について何かしたいと思っていても具体的に何をどうすればいいのかが明確になっていませんでした。しかし、この会の発足により、ライフワ-クとでも言いましょうか、一つのテ-マができたのかなあとも思っていますし、体制が整ったことにより、今後の活動の幅も広がっていくように思います。小学校のファーザーズの活動などとも連携できればとも思っています。
 今年は大島の准四国開創200年にあたるので、それを機に、不登校や引きこもり、いじめなどの問題を抱えた親子(全国で200組限定)を公募して、みんなで島四国を歩き親子の絆を深めようという企画を進めています。2泊3日で63,5kmを歩きます。大島には「歩いてみよや島四国」というグループがあって、島の人たちはそれぞれ自分の持ち分を活かし、協力し合っています。こうした活動には見習うところが多々あり、広げていけば市全体、県へも活かせるのではないかと思います。愛媛らしさのある教育とはどんなことなのか、教育に対する熱い思いを抱えながら、やっていけたらと思います。
 教育とは何ですって? 僕は光・希望・未来だと信じています。


愛媛県議会議員 徳永 しげき